江の島の歴史

江の島の歴史

観光で人気のスポット『江の島』
恋人たちのデートでも人気です。
夏は夏の顔がありますし、冬は冬の江の島を楽しめます。
そんな江の島の歴史をまとめてみました。

 


古代〜

 

沖積世(およそ2万年前) 江の島、沈降運動により片瀬側と離れ独立した島となる。
欽明13年(552) 江の島湧出?江島神社創建(江島縁起による) (700年頃) 山伏の開祖 役小角(えんのおづぬ)始めて江の島島内に入る。(江島縁起による)
天平勝宝元年(749) 片瀬・江の島に関する歴史文書「庸布墨書」編纂。
仁寿2年(854) 慈覚大師が中津宮(なかつのみや)を創建。
寿永元年(1182) 4月5日、源頼朝 奥州遠征にあたり鎌倉武士47人と共に文覚上人を招いて岩屋に参籠。(吾妻鏡による)
建久元年(1190) 北条時政が江の島に参籠。龍の化身の美女が現れて子孫繁栄を約束。残された3枚の龍のウロコを元に「三鱗」家紋を定める。
建仁元年(1201) 源頼朝江島神社参詣
建永元年1206年 源頼朝が江島神社下之宮(現辺津宮)を創建。
承元2年(1208) 源実朝、江の島龍穴で雨乞いを行う。
建保4年(1216) 江の島と片瀬が陸続きになる。

 

宝得2年(1450) 足利成氏(しげうじ)山内上杉氏の家老太田資清らに襲撃され江の島に逃げ込む。
翌享4年(1455) 足利成氏江の島岩本坊の間宮氏に鎌倉警護の勲功を感謝する書状を送る。
永正元年(1504) 北条早雲、江の島で武士が乱暴狼藉しないように制札(禁制)を掲げる。
永世10年(1513) 仏所上総、弁財天坐像の彩色等を補修。
享禄4年(1531) 北条氏綱、江の島の円光坊に宛て上之坊の坊跡の支配管理を命ず。
天文18年(1549) 北条氏綱、上之宮(現中津宮)・下之宮(現辺津宮)に白糸10斤を造営料として寄進。社殿修復。
元亀2年(1571) 下之宮(現辺津宮)修造料の寄付をつのる。
天正7年(1579) 北条氏照、江の島へ「五ヶ条の書出」を差し出す。
慶長年間(1596〜1614) 江の島の老舗旅館、えびす屋開業。

 


江戸時代

 

慶長5年(1600) 徳川家康下関からの帰路、江の島に立ち寄る。再び6月に訪れ、下の坊で食事。

 

寛永14年(1637) 下之宮(現辺津宮)の鐘が鋳造される。
寛永17年(1640) 岩本院と上之坊との争いの末、岩本院が上之坊を奴属化。
正保4年(1647) 肥前国佐賀河内大掾藤原正弘、江島神社太刀を製作。
慶安2年(1649) 岩本院が幕府より江の島全山の山林竹木等諸役免除の朱印状を与えられる。
慶安3年(1650) 岩本院江の島村民支配にのりだす。

 

寛文5年(1665) 岩本院の上之坊を奴属化は岩本院の陰謀との訴えを出すが却下される。
延宝2年(1674) 徳川光圀、江の島参詣。
延宝3年(1675) 下之宮(現辺津宮)の本殿再建される。
延宝3年(1675) 下之坊が岩本院の末寺からの独立を試みるが成功せず。

 

元禄2年(1689) 中津宮が再建される。是沢恭三「江の島弁才天信仰史」によるとこの年が開帳の始まりとされる。三神社(岩本院・上之坊・下之坊)弁財天総開帳。
元禄3年(1690) 杉山和一(検校)により下之宮(現辺津宮)の社殿再興。
元禄5年(1692) 杉山検校、関東総検校
元禄6年(1693) 杉山検校により下之宮(現辺津宮)の三重塔建立。岩本院に相談無しに再興したことに対し岩本院から抗議。
元禄7年(1694) 5月16日、杉山検校、江戸本所の自宅で没。江の島に葬られた。

 

宝永3年(1706) 岩本院、片瀬村において社領15石の朱印地を与えられる。
宝永4年(1707) 2回目の御開帳が行われた。「差上申一札之事」による。家永山噴火。江の島の浅瀬にも灰が積もり魚介類全滅。

 

寛延2年(1749) 4月より7月まで江島三神社(岩本院・上之坊・下之坊)弁財天総開帳。「武江年表」ではこの年が最初の開帳になっている。
寛延2年(1749) この頃より江の島弁才天信仰盛んになる。

 

宝暦5年(1755) 4月より7月まで江之島上の宮弁財天開帳。
宝暦11年(1761) 4月15日より相州江の島岩屋弁財天開帳。

 

明和4年(1767) 4月より相州江の島下の宮弁財天開帳。

 

安永2年(1773) 4月より7月11日まで相州江の島上の宮弁財天開帳。
安永6年(1777) 江戸中村屋、石造灯籠を弁財天に寄進。
安永8年(1779) 4月より7月まで相州江の島本宮岩屋弁財天開帳。
安永10年(1781) 八坂神社に狛犬が奉納される。

 

天明2年(1782) 江戸市村座、石造灯籠を弁財天に寄進。
天明2年(1782) 江戸中村屋が「不老門再建記念碑」を奉献。
天明5年(1785) 3月8日より江の島弁財天開帳。

 

寛政2年(1790) 中津宮の鳥居再建。
寛政2年(1790) 岩本院・上之坊・下之坊が幕府の寺社奉行に「寺院明細書上」を提出。
寛政3年(1791) 相州江の島弁財天開帳。(記録無し)
寛政8年(1796) 11月、江戸下谷住時田三天明昭が百度江の島の参詣記念に百度供養塚の碑を建立。
寛政9年(1797) 相州江の島弁財天開帳。
寛政12年(1800) 岩本院、負越場の人足の不法を寺社奉行に訴える。

 

享和3年(1803) 相州江の島弁財天開帳。(記録無し)
享和3年(1803) 酒井抱一 奥津宮の「八方睨みの亀」を書く。

 

文化元年(1804) 江戸住関宗俊、江島弁才天上之宮之碑を建立。
文化6年(1809) 4月より7月迄、江の島本宮岩屋弁財天開帳。
文化12年(1815) 4月15日より、江の島上の宮弁財天開帳。

 

文政2年(1819) 3月3日より60日間、深川八幡境内にて江戸出開帳。
文政4年(1821) 相州江の島弁財天開帳。(記録無し)
文政4年(1821) 青銅の鳥居が再建される。
文政7年(1824) 「新編相模風土寄稿」編纂される。
文政10年(1827) 春より夏にかけて、江の島上の宮弁財天開帳。
文政12年(1829) 「御岩屋道」の石造道標建立。
文政12年(1829) 江の島の様子を記した「鎌倉攬勝考(らんしょうこう)が編纂される。

 

天保3年(1832) 猿田彦大神の庚申供養塔建立。
天保4年(1833) 3月7日より、相州江の島下の宮弁財天開帳。
天保10年(1839) 相州江の島弁財天開帳。
天保13年(1842) 奥津宮社殿再建。

 

嘉永4年(1851) 2月28日より、相州江の島窟弁天開帳。

 

安政3年(1856) 8月9日より、深川永代寺に於て岩屋蛇形之弁天、江戸出開帳。8月25日暴風雨で小屋が倒れ日延べ。9月15日より初め11月8日まで開帳の記録。

 

天保12年(1841) 古帳庵と古帳女の句碑建立。奥津宮火災で焼失。
天保13年(1842) 奥津宮本殿再建。

 

安政3年(1854) 江戸深川の旦那衆が八坂神社に鳳輦形のみこしを奉納。

 

文久2年(1862) 河竹黙阿弥作「弁天小僧」初演。

 


近現代

 

明治

 

明治2年(1869) サムエル・コッキング植物園の土地を取得。
明治6年(1872) 神仏分離令が発令され江の島三坊は僧籍を離れる。
明治6年(1873) 奥津宮拝殿再建。
明治6年(1873) 10月、江の島桟橋が始めて架けられる。
明治10年(1877) 旧国鉄藤沢駅開業。観光客は人力車、早船で江の島へ.エドワード・モース6月来日。7月江の島を訪れ臨海実験所を開設。

 

明治15年(1882) サムエル・コッキング植物園を造り始める。
明治18年(1885) サムエル・コッキング植物園完成。
明治18年(1885) 皇后時代の昭憲皇太后、江の島行啓。
明治23年(1890) 江の島北岸が埋め立てられ須田町(新地)と名づけられる。
明治24年(1891) 江の島口にはじめての桟橋が架けられる。

 

明治30年(1897) オーストリアのフランツ・フェルジナンド親王が江の島訪問。岩本楼で休憩される。
明治34年(1901) 辺津宮参道女坂泉山還暦記念碑が建てられる。皇太子時代の大正天皇と同妃、江の島行啓。
明治35年(1902) 江之島電気鉄道 藤沢〜片瀬間開通。中村屋羊羹店を三代目助次郎が創業。
明治39年(1906) 弘法大師の彫像碑建立。
明治40年(1907) 学習院長乃木希典(まれすけ)が学習院の生徒を連れ海水浴を開始。

 

明治41年(1908) 後の昭和天皇、秩父宮、高松宮 江の島行啓。
明治43年(1910) 江之島電気鉄道 藤沢〜鎌倉全線開通。
明治45年(1912) 児玉神社建立される。

 


大正

 

大正3年(1914) 10月シケの中、腰越の漁師50名余りが西浦沖の生簀作業中に遭難。
大正4年(1915) 川口村、村営海水浴場開設。
大正6年(1917) 小田急線、海水客用の直通列車運転開始。
大正12年(1923) 9月1日、関東大震災。江の島桟橋津波で流失。
大正12年(1923) 10月、江の島桟橋の川口村営から神奈川県営になる。

 

大正13年(1924) 杉山検校の江の島の墓が分骨されたものではなく本物であることが判る。
大正13年(1924) 震柳居四世の句碑完成。
大正14年(1925) 江之島水道株式会社が設立される。

 


昭和

 

昭和元年(1926) 江の島に始めて水道が通水。
昭和4年(1929) 小田急江ノ島線 相模大野〜片瀬江ノ島間開通。
昭和5年(1930) 江の島対岸の小動岬で太宰治,カフェの女給と心中。女給のみ死亡。
昭和23年(1948) 江の島弁天大橋架橋工事着工。
昭和24年(1949) 江の島弁天橋完成。
昭和24年(1949) 藤沢市江の島植物園を開園。

 

昭和25年(1950) 江の島植物園江の島電鉄の委託経営となる。
昭和25年(1950) 二子多摩川の読売パラシュート塔を灯台として江の島に設置。
昭和26年(1951) 大映映画「江の島エレジー」封切りされる。
昭和28年(1953) 江島神社、木造彩色弁才天坐像が県指定彫刻文化財に指定。大映映画「続江の島エレジー」封切りされる。
昭和29年(1954) 江の島水族館開館。

 

昭和33年(1958) コンクリート製の江の島弁天橋完成。江島神社太刀が県指定文化財工芸品に指定。
昭和35年(1960) 江の島が県指定史跡名勝に指定。
昭和36年(1961) 沼田頼綱の歌碑完成。波涛によって海中に失われた永瀬覇天朗の句碑再建。
昭和38年(1963) 杉山和一の墓が市指定文化財史跡に指定。群猿奉賽像庚申塔(ぐんえんほうさいぞうこうしんとう)が市指定有形民族文化財に指定。江の島弁天橋の渡橋料が無料になる。
昭和39年(1964) 江の島大橋完成。東京オリンピックヨット競技江の島沖で行われる。

 

昭和44年(1969) 藤沢市は4月1日を以って「江の島」と表記する事に統一。
昭和46年(1971) 八方睨みの亀の絵が市指定文化財絵画に指定。江の島植物園の クックアロウカリア、シマナンヨウスギ、タイミンチク群、ツカミヒイラギの4種が市指定天然記念物に指定。
昭和49年(1974) 藤沢市文書館開設。
昭和50年(1975) 岩本院文書が県指定文化財書跡に指定。
昭和51年(1976) 辺津宮、拝殿と幣殿を新築。

 

昭和53年(1978) 八坂神社のみこしが奉修される。
昭和55年(1980) 中津宮改修される。藤沢市、江の島浮世絵を含む呉文炳コレクション購入。全逓信労働組合、大反対運動の中金亀楼着工。
昭和57年(1982) 遊行上人縁起絵巻が県指定文化財絵画に指定。
昭和62年(1987) 藤沢市民ギャラリー企画展「江の島浮世絵展」開催。

 


平成

 

平成2年(1990) 大相撲藤沢興行のため小錦、二見館宿泊。
平成5年(1993) 閉鎖されていた岩屋が開通。明治6年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により取り壊された江の島大師創建。
平成6年(1994) 大相撲興行で双子山部屋の親方、貴ノ花以下20名洗心亭に宿泊。
平成8年(1996) 恋人の丘の「龍恋の鐘」が設置される。9月に中津宮が大改造される。
平成11年(1999) プロムナードとサザエ島完成。傾斜地に引っかかる様に建つ問題の金亀楼、遂に撤去。

 

平成12年(2000) フィルム・シティ製作の江の島を舞台にした映画『NAGISA-なぎさ-』公開される。
平成13年(2001) 岩本楼のローマ風呂が国登録有形文化財に登録される。
平成14年(2002) 展望塔立替のため、3月で江の島植物園閉鎖。植物園内から縄文土器類1万点が出土。その後、サムエル・コッキングの作った温室設備発見。5月に中村屋羊羹店創業100周年。1月江の島狂言事件勃発。8月に示談成立。8月江の島大橋の下でウミガメ産卵。藤沢市、FC(フィルムコミッション)設立。
平成15年(2003) 4月江の島サムエル・コッキング苑開園。同時に新江の島展望灯台完成Open。
平成20年(2008) 5月、30年間湘南を歌い続けたサザンオールスターズが 無期限活動停止を発表。

 

平成23年(2011) 3月26日、湘南江ノ島を舞台にした映画 「紙風船」 が公開される。
平成25年(2013) 6月、サザンオールスターズがデビュー35周年を迎えることを機に活動再開を発表。8月10日、映画 「江ノ島プリズム」 が公開される。

 

(・∀・)